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浄土真宗は『聞く』ことが始まりであり、すべてです。
『聞く』とはこの私が、阿弥陀仏の本願を聞くことです。したがって寺院活動の中心は聴聞で、お寺はそのためにあるのです。
 正浄寺では、お寺の法座で、地域や団体の法座・例会で、あるいは家庭の仏事(報恩講・法事など)で門信徒ひとりひとりが聞法し、聞いた教えを伝えていくよう、つとめます。

栃木県大田原市佐久山1301 
Tel:0287-28-0051 
Fax:0287-28-3181
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正浄寺への交通アクセス
東北自動車道矢板ICより15分 
●那須塩原駅から30分 
●宇都宮線野崎駅より15分
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本願寺パンフレットより

初代:親鸞聖人

8代目:蓮如上人

自らの生命を大切に、力いっぱい自らの人生を生きたい―というのが私たちの願いです。
自らを粗末にしてダラダラと一生を過ごしたいという人など、この世に一人もいないと思います。

ところが、現実はどうでしょうか。
一人ひとりが、本当に自らの命を大切に、力いっぱい自らの人生を生きているかといいますと、どうもそうではないようです。
どちらかというと、自らの命を粗末にし、いつのまにか年齢だけが増えているというようなことになっているのではないでしょうか。 

 あれもしたいこれもしなければと思いながら、やれることさえも充分にしないうちに日を過ごしているのが私たちです。どうしてこんなことになってしまうのでしょう。

 まず、考えられることは、自らの力のたりなさということです。
次に、確かな人生のささえ、本当のよりどころをもたないということです。

 自らに、どのような障害にであっても、しなければならないことはするという強い力のないことも確かですが、いくら力があっても、この身をささえてくださる確かなよりどころがなければ、自らの力をだしきることはできません。ですから、力いっぱい、自らの生命を生きたいと願うものにとっては『確かなよりどころ』にであうことが何より大切なことです。

では、私の人生をささえてくださる確かなよりどころが、どこにあるのでしょうか。

 お釈迦様は、『法』こそが、私の人生をささえてくださる確かなよりどころであることを覚られました。浄土真宗をお開きくださった親鸞さまは、『法』は、『どんなことがあってもあなたを見捨てることのない私がいます』という『南無阿弥陀仏』の呼び声となって、私たち一人ひとりにとどけられていることをあきらかにしてくださいました。
 『どんなことがあっても私がいます』と呼びかけつづけてくださる『南無阿弥陀仏』を人生のささえとし、よりどころとして力いっぱい生きる道が浄土真宗です。